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ブログ (個別記事)


友人との別れ

 (2025.1.24)

中学生や高校生のみなさんにとって、学校からの卒業は今までの友人とのいったんのお別れですが、あらためてたくさんの新しい友人に出会うことでしょう。
進路の選択や入試の結果で進む方向が変わっていきますが、どの道を進もうとも、いろいろな人とのつながりで人生が豊かになっていくことに変わりはありません。

一方、年を重ねていくと、新たに出会う人の数よりも会えなくなる人の数のほうが増えていきます。
限りある人生ですから、仕方ありません。


2024年春に、大学時代の友人のM君から生前葬の案内が届きました。
生前葬とは、本人が生きているうちに、自分が主催者となって友人などを招いて行う葬儀だそうです。
案内のメールには、「…がんの治療を重ねてきましたが効果ある治療法・薬剤がなくなり」「主治医と相談のうえ、まだ体調がしっかりしているうちに」と書かれていました。

その6月に東京で行われた生前葬は、湿っぽくならずに楽しい集いにしたいという本人の希望のとおり、にぎやかで心温まるものでした。
高校、大学、会社それぞれの知人数十人が集まりました。
私たちにとってもお互いに懐かしい顔ぶれが集まって、とても貴重な時間になりました。
M君は、ふだんは他人が想像できないような治療の日々を送っていたようです。
あらゆる治療を重ねてきた結果、もはや打つ手がなくなり医療用モルヒネで痛みを緩和させている状態だ、とのことです。
それでもこの日のM君は、みんなと再会した喜びと、会に合わせた治療の一時的な効果からなのか、表情がとても明るかったです。
そしてその立ち居振る舞いからは、闘病生活のつらさをうかがい知ることはできませんでした。
一日でも元気で長く生きてほしい、とみんながエールを送った会でした。


半年が過ぎた2025年1月12日、夜23時半ころに私は途中まで読んだ本を枕元に置き、そのまま眠りました。
その晩久しぶりに、というかここ数十年でおそらく初めて、M君の夢を見ました。
なぜか大勢で合宿所みたいなところの大浴場の脱衣室にいて、腰にタオルを巻いただけのM君がはにかんでいます。
夢の中のM君は、顔色も肌の色もとてもよくて。
私と同じくらいの身長のはずなのに、見上げるくらい背が高くなって。
「元気そうだね」と肩を叩いたら、いつものおだやかな笑顔を見せてくれました。

翌13日は、目が覚めて夢のことを思い出しつつ過ごし、しばらくしてから午前0時30分着信のメールに気づきました。
大学時代の別の友人からのメールでした。
そこには、M君が昨年9月に亡くなっていたことがわかった旨が書かれていました。
生前葬で大勢に直接お別れを告げることができたので、あらためて周囲には知らせないように配慮されたことでしょう。


どうして彼の夢を見たのかな。亡くなったことを知る直前に。

仮に「虫の知らせ」や「夢枕に立つ」ことが現実にあったとしても、彼の夢は昨年の9月だったはず。
不思議すぎてわかりません。

ただ、私にとっては彼は2025年1月12日まで生きていました。
そして、二度と会えない人がまた一人増えてしまいました。